2012年1月26日木曜日

Laeの食料事情と残念な日本食コーナー

私が住む Laeという街の食料事情は良い。ことに野菜に関してはゴロカなどのハイランド地方で栽培された野菜がどんどんと運び込まれローカルマーケットで売られる。ホテルなどにもゴロカから来たトラックが直接乗り付けている。以前、ポートモレスビーに住んでいた頃、スーパーでは野菜はほとんど輸入に頼っていたが、ここでは輸入野菜の比率は圧倒的に少ない。
 また、肉に関してはLae近郊で、鶏、豚、牛が生産されており、味は日本で食べる肉より圧倒的に良い。鶏はしめてから冷凍していない肉がスーパーで普通に売られており、これを食べると冷凍肉は損した気分になり食えない。豚も然り。
 魚は一応新鮮な魚も並べられているものの、熱帯なので味は落ちる。日本向けのキハダマグロが採られているはずなのだが、最近店頭に並ばないのが残念。私は好んで冷凍のBarracudaを食べる。先日和風に甘辛く煮付けにしてみたら結構うまかった。
 このように食料事情の良いLae市であるが、日本人としてはたまには日本食も口にしたいものだ。国際食品となった醤油や味の素は常時売っているが、たとえばQPマヨネーズなんかは無い。もちろんマヨネーズは各種売っているが、オーストラリア向け製品がほとんどだ。ご存じの方も多いと思うが、オーストラリアのマヨネーズには砂糖がかなり入っている。蜂蜜が入ってるのを自慢している製品もあり、日本人には食えたものではない。また、豚がうまいのでトンカツを作り、ブルドッグトンカツソースをかけて喰いたいものだ。
 さて先日、Lae市の最大手スーパーマーケットであるFoodMartに突然日本食コーナーが出現した。横1m50くらいの棚を3つ並べたかなり大きいものだ。QPマヨネーズはもちろん、カップラーメン、お菓子類、そば、浅漬の元・・・。見たときは興奮していたが落ち着いて検討するとちょっとそのセレクションが疑問なのだ。
 例えば、そば、うどんなどの乾麺が数種類並んでいるのだが、タレがない。私は作れるからいいけど、他の日本人はほとんど男だからタレは必要だろう。カップ麺はラーメン、素うどん、にゅうめん、かけそばが同数売られていたが、お察しのとおり、ラーメンがあっという間になくなり、次にかけそばがなくなった。QPは普通のとカロリーハーフが同数並んでいたが、普通のがすぐに売り切れた。カゴメトマトジュースの缶詰もあるが、オーストラリアのJustJuiceのトマトジュースがおいしいので買う必要なし。ツナ缶は味はともかく地元でいっぱい作ってるのでこれも不要。
 最大の問題点は、全部日本仕様の商品であるため、外国人にはそれが何であるか全くわからない点だ。これでは地元の人もおっかなくてチョコレートひとつ買うわけにはいくまい。日本人もそんなに多くないため、多分これから先はそれ程売れないと思われる。
 このコーナーは無くなってほしくないので、お店に多少協力しようかなと思っている。

Laeの道路事情

 我がLaeの街もここ2−3年でずいぶん舗装工事が行われ、以前と比べて便利になっただけでなく、風景もかなり変わった。Laeに来たことのない人には全く興味がないことであろうが、現在の道路状況についてまとめておく。
 Laeは「熱帯雨林気候」の名のとおり雨の多いところで、ざっとアスファルトで舗装したくらいではあっという間に穴だらけになる。つまり雨が舗装の下の土を流してしまうわけで、Potholeと呼ばれる穴が多数出現し、ハイランドから来た連中がうんざりするくらい悪名が高かった。
 国から道路への予算がついたと報道されたのが確か2008年で、翌年にはLae市内から私が居住しているUNITECHキャンパスまでの Independent Roadがアスファルトで舗装された。それ程厚くはないが基礎工事も行われ、路肩をコンクリートで補強した立派な道路である。その後、市内を縦貫する Huon Roadが同様にアスファルトで舗装され、我が家から市街地のスーパーマーケットまで、ほぼ舗装道路を通って行けるようになった。これは大きかった。
 昨年はボタニカルガーデン北の道と、ボタニカルガーデン南からタウンに抜ける道が開通した。現在は市街地、ボタニカルガーデン北東のラウンドアバウトか らErikuのバスステーションへの道が工事中。そしてAngau総合病院前の道が着工したばかりだ。最近の工事はアスファルトではなくコンクリートで 行っている。
 迂回路の計画などをあまりしないで工事が始まるので、昨年の夏ごろ市街地では、どこをどう行っても行き止まりになってしまうことがあった。また、道路を閉鎖しないで工事することも多く、作業中のパワーショベルすれすれに通行することもある。
 道路に穴がなくなり、土埃が舞い上がらなくなり、加えて道路の脇が直線で仕切られているのが、景観にぴしっとした感じを与えている。数年前以前にLaeに来た人は、今見たら「建物は変わってないんだけど、何か違う感じ」がするだろう。

2012年1月25日水曜日

幽体離脱の正体見たり?

 学生時代,朝目覚ましが鳴り起きれないでいるとつい寝てしまって,起きて支度をしている夢を見る事がよくあった。歯を磨いて,顔を洗い,着替えをしているあたりでほんとに目が覚めて焦ったりする。くそ歯磨きからやり直しか,と理不尽に怒ったりする。
  私は先日同じように,起きたつもりが寝てしまっていた。そのとき夢を見たのだが,夢の中のでの私は件のごとく爽快に起床したのである。部屋の中は日がさして明るく 気分は爽快だったのだが夢の中の私は疑い深く、「さっきまで眠たかったのにこんなにバビッと起きられるわけがない」と思い,これは夢に違いないと考えたのであった。
 ここからが珍しい話なのだが,夢の中でバビっと起きた私がベッドを見ると、私が布団をかぶって寝ているのである。はて,寝ている奴は、私の意識が創りだした、本当に寝ている私の代理かなにかで,今このように起きて(いるつもりで)ベッドを眺めている奴(そう考えている本人)の夢を見てるんだろうか?では、こいつを起こしたらどうなるんだろうと俄然興味が 湧いてきた。そこで私は,寝ている私の布団を剥がしにかかった。しかし意外なことにこいつは顔を布団に隠したまま,はがされまいと抵抗するのである。そうこうしているうちに、私の意識ははがそうとしている方でなく,はがされまいとベッドに横たわっている方になってしまい、起こされまいと抗っているうちに,私は実際に起きてしまったのであった。
 なんとも不思議な気分だが、面白く、ベッドに腰掛けたまましばらくの間、思い出してはにやけていたのだった。自分の魂が抜け出て寝ている自分を見た、などという話を聞くが、つまりはこういうことなのではないかと思う。


2012年1月24日火曜日

メモソフト遍歴 - ただいまNixnote(?)

私のコンピュータ利用歴は、MZ80B, FM-7,PC-9801U(1983-) -> Mac(1990-) -> Windows(2001- ) と流れてきた。
 私は記憶力が残念な人なので、必然的にあらゆる情報をコンピュータ上に置きたがる。
Mac時代にNewNotepadIIというソフトを使い始めて、メモ、日記などほとんどのテキスト情報を放りこんできた。
 2001年にPNGに来ることになりWindowsへの移行を余儀なくされ、同種のソフトがないか探したところ、ArrangeNoteというのを見つけ、同様に10年近くも愛好してきた。
 2006年くらいからLinuxのデスクトップ環境が充実してきたため、WindowsからLinuxへの移行を考え始めた。また、同種のソフトがないかいくつものソフトを探したが、コレはというのが見当たらなかった。ArrangeNoteをWineで動かすというのも考えたが、2006年あたりではそもそも動かなかった。ほぼこれだけが理由でWindowsを使い続けざるを得なかったのである。それほどArrangeNoteに依存していたのだ。
 ところが去年あたりに、Evernoteはどうなんだ?と思いつき。フリー版をWindowsで使ってみた。機能的には全く満足だったので、Linux版を探したら正式版はないらしい。Nevernoteというクローンを試して見たら「使えそうだが不安定」という状況。しかしEvernoteの機能にすっかり惚れ込んで、もう無理やり移行しちゃえ、そのうちなんとかなるだろう(©植木等?)と、デスクトップをUbuntuにしてしまった。
 いざNevernoteを使ってみたらやはり不安定で、データ喪失の不安から過渡的措置として、Ubintu上でVirtualBoxを動かし、その上でEvernoteクライアントを動かすことにした。この状態でArrangeNoteのデータを変換するスクリプトを書いて、無理やりEvernoteに流し込んだ。
 さて半年が経ち、Nevernote多少はマシになったかと思い調べてみたらバージョンが1になってNixnoteという名前になっている。おおこれは!と期待してインストールして使ってみたが、うーんまだ動作があやしい。
  • メモテキストをクリップボードにコピーすることができない。
  • Shift押しながらの複数メモ選択が下から上に向かってできない。
  • 1クリックでメモを選択できないことがある。
  • Tag欄にヒストリが出てこないことがある。
  • 起動が遅い。

 ところで未だにフリー版を使って満足しているんだが、有料版のアドバンテージってなんだったか忘れてしまった。ということはこのままでいいということなんだな。

やけ酒買い

父の葬儀を終わらせてLaeに帰って来たのが2011年11月26日。即、酒・食料の調達にLae最大手のスーパーFoodMartに行ったところ、入り口にLiquorBan(種類販売禁止)の貼り紙。31th-Januaryまでとある。一瞬、今がいつだかとかJanuaryが何を意味するのかとか分からなくなった。正気に帰って青くなった。年越しをまたいで2ヶ月以上酒なし?ありえん。
 そんなことがあってから、早二ヶ月弱が経過し禁止期間もあと一週間となった。この間わがUNITECHの近くにあるArmy Barrackに直接行ったり買ってきてもらったりしたビールが、多分5ダースくらい。日本滞在中の妻から送ってもらった焼酎が2本。現在、在庫は焼酎が少々のみ。つらい日々であった。ビールと焼酎があったんならいいじゃん、と言われそうだが、俺は若い頃から、一晩でいろんな酒を飲むいやな習慣があって、この2種類ってのは正直きつい。
 あと一週間ともなると我慢の糸が緩んできて、ワインが飲みたくてたまらない。というわけで、街に行ったついでに久しぶりにLae International Hotelに行ってワイン赤白を買ってきた。各々70キナ前後。普段の金銭感覚では絶対に買わない値段だ。ちょっとおかしくなってる精神にわざと判断を任せたところもある。ホテルの建物の中に入るのは本当に久しぶりだったんだけど、内装が大幅に新しくなっていてびっくりした。顔見知りのホテルマンも何人か残っていた。以前ちょくちょく行ってたバーにいたDicksonもマネージャに出世したらしい。かつてここに住んでいたかと思うとなんとも・・・。
 最近聞いた話だが、Liquor Banが一部には評判がいいらしくて、延長するなんていう話もある。PNGの男連中の中には、給料のほとんどをビールに使ってしまって家に金を入れなかったり、酔っ払って喧嘩したり、果ては酒代ほしさに悪事を働いたりするのがいたりする。前者2種類に関してはまわりにもいっぱいいて、まあ、酒は女性の目の敵なわけだ。そんな事情だから酒に厳しくなるのは解るとしても、全面禁止はどうなんでしょう。小売業の売上も相当影響あるだろうし、高率の税収だって取りっぱぐれるはずだ。ちょっと気になることではある。